株式会社 東ア
http://www.kk-toa.com/ 本社 〒350-1222 埼玉県日高市 大字大谷沢667番地3 TEL.042-984-1270(代) FAX.042-984-1161 兵庫営業所 〒675-2103 兵庫県加西市 鶉野町1936-3 TEL.0790-44-0833 FAX.0790-44-0783 --------------------- 業務内容 金属加工(溶接・製缶)/設備工事/人材派遣業務/総合ビルメンテナンス/清掃/警備/設備管理 カテゴリ
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航空自衛隊入間基地 退職者雇用協議会の関係で硫黄島を訪問しま した。 訪問の主目的は、雇用協の豊田会長による現地の隊員の皆様への 講演会の開催です。 講演会では約50名の空自、海自の幹部士官の方々にご聴講を頂き ました。 今回、私におきましては事務局長として豊田会長の鞄持ちという立場で 同行してまいりました。 硫黄島への民間人の上陸は簡単でなく、遺族会の関係の方々や建設・ 土木業者の関係の方々、または今回の我々のように基地に関連する 行事に携わる等でなければ許可がおりません。 そういう意味でも大変貴重な体験をさせて頂きました。 所在する基地名称は 『硫黄島航空基地』 であり、海上自衛隊の主管理 となります。また航空自衛隊の 『硫黄島分屯基地』 も併設され、こちら は入間基地の分屯基地となります。 基地の全容は写真撮影するわけにはいきませんので、上記の写真は 摺鉢山の山頂からの海岸線の景観です。 中央の山が 『摺鉢山』 (すりばちやま) です。 島の最南端に位置し、標高は 196㍍ 。 硫黄島は小笠原諸島の南端にあり、都心より約1200㌔の南方に位置 します。 移動時間は入間基地よりジェット機で約2時間、プロペラ機で約2時間 40分です。 島は活火山であり、名称のとおり硫黄が噴出する火山活動を続けてい ます。 現在でも海岸線の隆起が激しく、船着場を建設しても盛り上がってしまう ため湾港はありません。 島内への物資の輸送は基本 航空機を使用し、燃料等は近海に付けた 船舶より特殊な方法で引き上げるそうです。 硫黄島という表記の読み方ですが、日本国の正式な呼称は 『いおう とう』 となります。 一説に 「いおうじま」 との呼称がありますが、これは米軍の地図上の 表記であるIwo Jima からきています。 よって現在の日本国としての正式な呼称は 先に述べたように 『いおう とう』 で統一されています。 島内奥地には、まだ先の大戦の残骸が残っています。 上記の写真は米軍のシャーマン戦車の残骸です。 それら残骸のほとんどは朝鮮戦争の時に、鉄不足を補うため米軍により 回収されたそうです。 現在、残存するものは後の発掘にて発見されたものだそうです。 島内にはまだ多くの壕(ごう)やトーチカが残されています。 この地は太平洋戦線でも大激戦地域であり、日本軍は2万129人の戦 死者、米軍は6821人の戦死者がでています。 島内では ご遺骨の収集作業が現在 通年で実施されております。 数週間前にも新たに発見された地下壕があったそうです。これから 調査が行われるとのことです。 多くの壕の中に入らせていただいたのですが、内部は地熱が高くて とても蒸し暑い状況です。 確認され現存する壕は全て調査が入り、ご遺骨や遺品は全て回収 されています。 ただ洗面器や鍋・釜の類は 朽ち果ててはいますが現在でもそこに 残存します。 地下壕での生活の痕跡がのこっております。 総本部のあった 陸軍守備隊の 栗林忠道中将の執務室のある壕 も入ってみました。 ほかにも壕に入りましたが、多数の兵隊の方々がお亡くなりになった 場所でもありますため、壕内部の各室の写真撮影等は一切差し控え ました。 現在の基地施設内に残る トーチカ跡。 左側の壁面に見られる窪みは、米軍艦による艦砲射撃の直撃痕です。 写真は摺鉢山の頂上にある日本国の鎮魂の慰霊碑です。 島内には数ヶ所の慰霊碑があり、また新たに見つけられた ご遺骨を 一時保管するための納骨堂が設置されています。 摺鉢山の頂上には米軍の記念碑も設置されております。 立場が変わると、同じ場所にある碑文も各国の歴史の解釈のものと なります。 お聞きしたところによると、この地は米国にとっても過去に激しい戦闘 が行われ、そして多くの殉職者を出した場所でありますため特に海兵 隊にとっては聖地であるとのことです。 海兵隊の新兵は、毎年3月に この地を訪れることが慣例だそうです。 ※ ※ 大戦の激戦区であったという歴史の認識のために 、島内のご案内を 頂きました幹部士官の方のご説明も真剣かつご丁寧なものでした。 1932年オリンピックの馬術障害飛越競技で金メダルを取得された バロン西の呼び名で有名な 西竹一 陸軍大佐の殉職された地も訪れ 碑文も拝見しましたが、やはり軽々しく写真を撮るべきではないという 気持ちになり、差し控えました。 ※ ※ 戦後67年を経て現在の島内の夜は大変静かなものです。 その夜空は満天の星空と申しますか、一面に星が輝いていました。 本土では一目で見つけられるはずの北斗七星を見分けるのも、周り の星が多すぎて一苦労でした。 もちろん 天の川も ハッキリと夜空を縦断しています。 あのような夜空の姿というものを自分の目で見ることはもう二度と 無いと思います。 率直な感想として、 真の夜空というものは こんなに多くの星があるのだな・・・ と 放心状態で ただ ただ ボーッと 眺めておりました。
by kk-toa
| 2012-08-24 11:09
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